Rue de Condé

都会から田舎へ -NY Finger Lakesでの生活-

人種差別の暴力を受けて

こんにちは

今回はふと思ったことについて独り言に近いです。

 

NY領事館からのメールはいつも物々しくていつもドキドキしてしまう。

 

フランスのときの領事館からは殆ど事件などのメールはなかった (パリエリアは違ったかもしれません・・・また、コロナ後では違うかも)。

 

 

差別意識そのものは勿論悪だけど、

それを犯罪という自分にとっても大きな過ちになる行動を起こさせるほどの憎悪ってどれほどのものなのか。怖い。

もしくは憎悪自体は表面的で、寧ろゲーム感覚・憂さ晴らし間隔の場合も少なくないだろう。

後者はかなり迷惑なケースだけれど、前者は本当に怖い。

 

 

私はフランスに暮らしていた時に一度だけトラム駅で後ろから背中を思い切り殴られたことがあった。

 

友人や警察、領事館は非常に協力的に動いてくれましたが、結局駅にカメラもなかったので特定できず、数か月後に警察から「この件は捜査打ち切りになります。すみません。」と、とても事務的だが丁寧な手紙が来た。

 

また、大きな精神病院の近くだったので (勤めていた研究所が敷地近くだったのでどうしようもない) なるべく一人にならないように気を付けるしかないという結論になった。

 

私はこの事件を忘れない。

被害者になりました涙、ではなく、これは結果的に私を強くした。

大けがをしなかったし命を失わなかったので、そういう言い方ができるのだし

暴力はどんな結果であっても絶対に悪だ

だけど。

 

 

 

それはフランスに住み始めて半年頃の時。

私が住んでいたのはフランス都市のなかでもかなり治安がいい場所だった。

 

朝、トラムから降りた直後男に後ろから思い切り殴られた。

一瞬息が詰まるようにすごく痛かったけど、それよりもその瞬間はなにが起きたのか分からず、数秒してから「あ、殴られた」と分かった。

 

犯人が一度振り返りアジア人に対する差別的なジェスチャーをして、そのまま何事もなかったように早足で私が向かう方向と同じ方向に歩いて行った。

 

おそらくアジア人だから殴られたんだ。

 

 

次にふと浮かんだ感情は怒りだった。

絶対にこいつに罰を与えたい。絶対に許さない。そんな怒りだった。

震える手でiphoneのカメラを起動し、後ろ姿をとった。

私は歩くのが早かったから犯人と距離を数メートル取りつつも、横に並ぶような形にまで追いつき、斜め後ろから写真を撮った。絶対に許せない。

 

今思うと背後からとはいえ、危ないことをしたかもしれない (さすがに彼の視野内から撮ることはかんがえつかなかったが)。でも、怒りでいっぱいだった。

 

さすがにアウトでしょうとおもいつつも、今自分の行動を思い起こすと、一カ月ほど前にNY地下鉄での邦人の取った行動が完全に理解不能ではない (ただ、私は銃社会のアメリカでは絶対に同じことはしなかっただろう・・・)。

 

 

 

怒りと悔しさ以外にはまるで働かない頭のまま、研究室に向かった。

それ以外は何も感じなかった。感じている自覚は少なくともなかった。

 

 

研究室について、隣に座るフランス人友人に起こったことをはなそうと思った。

怒りを発散させたかった。話したかった。

話始めると、涙がとまらなかった。

なんで涙が出るのかわからなからなかった。

多分怒りだと思う。悲しい気持ちは何もなかった。

あとは多分恐怖もあったんだと思う。震えた。

 

 

友人が一緒に警察と病院に来てくれて (警察に被害届を出すためには病院の診断書が必要だった)、手続きをした。

 

 

 

今も思い出すと怒りが沸き上がる。

 

私は特に凶器などで攻撃されたわけでもなく、 命にかかわることでは全くなかったから、そう思えたのかもしれないけど、この事件は私のアジア人アイデンティティを大きくした。人それぞれのとらえ方があると思うけれど、私はこの件で寧ろアジア人であることにより強くなろうと思えるようになった。

 

フランスに来て、アジア人だからと態度を悪くされることはなかった。寧ろフランス語を話せたり、日本人であることはポジティブに働くことのほうが多かった。フランス人は本当に優しかった。

でも、どこかしら自分がアジア人であることに劣等感があった。

 

 

この事件で、私はそんな気持ちを完全に捨てることができた。

根拠はないけれど。

強くならないといけないとおもった。

 

 

私は海外では用心深いし、日本人女性にしてはかなり体格も大きいし (170cm以上ある)、その日の服装もトレンチにジーンズだったし、すきを見せているつもりはなく、事件も朝の通勤時間帯のトラム駅でおきるという何とも堂々としたもので、不可避だったと思う。

 

 

だから行動を変える部分はなにも余地はなかったんだけど

この後から(もちろん少し時間はかかったが)、もっと強くなれたとおもう。

 

 

 

だから、NY領事館のメールを見て悲しくなった。

アジア人であることをできるだけ隠せと言っているようなもののように見えた

アメリカはアメリカなんだ・・・

凄く悔しい。

勿論、事件に巻き込まれてしまったら元も子もないので、これは当然というか妥当な指示であることはわかるけど

こんな世界になってしまったことがとても悲しい。

それを考えると、アフリカ系の人やイスラム系の人の辛さもわかるようで悔しい。

 

 

どの国の人でも、自分のアイデンティティを誇って堂々と過ごせる世界になってほしい

 

 

でも、NYCやアメリカ都市部の人は本当に気を付けてほしい。

 

 

私はあの時の犯人に会いたい。

なんで私を殴ったんですかと聞きたい。

アジア人だからですか。

アジア人の女だからですか。

私があなたの人生に何かしましたか。 

 

 

 

事件後も数年フランスにいましたが、これ以外は本当に一回も嫌な思いはしませんでした。

事件の約一年後、研究所がまさに前述の精神病院のまさに敷地内に移転になって、夜にバスやメトロやトラムを使うことも寧ろ多くなりましたが、危ないことは一度もありませんでした。本当にみんないい人でした。

フランスは今でも私の第二の心の故郷で、恋焦がれています。

 

 

取り留めない文章ですみません。

ふと、最近は記憶の奥のほうに行っていた出来事を

思わず思い出してしまったので。

 

 

 

あまり楽しい話ではない文章をここまで読んでいただきありがとうございました。

今は実際に犯罪が増えているということで、まずは自己防衛。気を付けましょう。